「考え過ぎ」の私がより良くなるために考えること

こころのこと

私は「哲学対話グループセッション」っていう小難しい名前のセッションを企画しています。

正直、哲学が目的ではありません。

自己理解の手助けになればと思ってやっています。

哲学者の言葉に

>「我思う、ゆえに我あり」

とか

>「吟味されない人生は生きるに値しない」

とかあります。

まあ難しいことは置いといて。

私が哲学対話に惹かれる理由は単純です。

だって、

何となく学校に行って

何となく就職して

何となく結婚して

何となく年をとって

何となく死んでいく。

それも別に悪くない。

でも私は

本当にその生き方でいいのだろうか?

っていちいち立ち止まってしまうんです。

別に立派な人生を送りたいわけじゃない。

一般的な普通の人生でもいい。

ただ、

私は自分が本当はどうしたいのか

が知りたい。


よく「考え過ぎだよ」なんて言われる。(←HSP繊細な人のあるある話に頻出する話題)

確かに私は考える。

でも最近、自分の中でひとつの違いに気づいた。

考えすぎと自己理解は、似ているようで違う。


考え過ぎた後に残るのは不安だ。

「あの時こうしていれば」

「失敗したらどうしよう」

「私がいないと」

そんな思考をぐるぐる回っていると、

最後に残るのはだいたい『がっかり』だったりする。


でも自己理解のために考えた時は少し違う。

もちろん楽じゃない。

むしろ苦しい。

見たくない自分に出会うこともある。

だけど、

「あ、私はそう思っていたのか」

という気づきが生まれる。

すると不思議と、

今まで選べなかった選択肢が見えてくる。

私はその時に生まれるものは、

『勇気』

なんじゃないかと思っている。

それを他の誰かと一緒にってところがグループや個人セッションの良いところの一つって思う。

どうせ考えちゃうなら生きやすくするために考えたいよね。