
目を開けて寝る💤👁️コワイ
先日自分のことを説明するのに「自己探求に関わる活動をしている」と話したら、
「自己探求って何するんですか?👀」と聞かれました。具体的にどういう活動かを問われたのでは無くてそもそも自己探求についてのご質問。
その瞬間、言葉にできない違和感がありました🤔
素直に思った通りのことを言ってくれて、悪意があったわけでもないのに、すでにどこか噛み合わない感覚。
自己探求って、具体的に説明がつくような「やり方」が存在するのか。。。🤔
私にとっては、
自己探求は趣味でも特別なことでもなくて、
もっと呼吸に近いもので当たり前にやっています。
呼吸って「何をしてるんですか?」と聞かれても困りますよね。
気づいたらしているし、やめようとしてもやめられない。
自己探求も同じで、
何かが起きた瞬間に、
「なぜ私は今、こう感じたんだろう?」
と、もう問いが立ってしまう。
誰かの一言に引っかかったとき。
なんかイラッとしたとき。
「分からない」と言われて、動いた感情をそのままにできないとき。
こうしてこの記事を書いている今も、
実はもう自己探求は始まっています。
私は
世界と関わるときに
自分の内側を通さずにいる、
という感覚がよく分かりません。
出来事だけを見て「そういうものだ」
と流してしまうことが。
それが悪いとか、浅いとか言いたいわけではなくて、ただ純粋に不思議なんです。。。
私は、
自分の内側で何が起きたのかを見ないまま、
次の行動に進むことができない。
だから自己探求は、
「好きか嫌いか」という次元にすらなくて、
もう前提条件みたいなものになっています。
好きだからやっているというより、
そうしないと世界と関われない。
たぶん、
内側を問わずに世界と関わる人から見たら、
私は立ち止まって考えすぎる人なのかもしれません🧐
でも、自分の内側に起きていることを
感じ取ることができるなら
それを無視して生きる方がよほど不自然。
“自己探求って何するんですか?”
と聞かれて感じた違和感は、
自己探求が特別な技術や作業ではなく、
私の世界との関わり方そのものだから、
たぶんそう簡単に説明できなかったんだと思います🌍🤔


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